千葉市美術館の所蔵作品展
現代日本の彫刻
金属を素材とした作品を中心に
2009年10月31日[土] – 2010年1月17日[日]
会場
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1階 さや堂ホール |
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会期
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2009年10月31日[土] – 2010年1月17日[日] ※この展覧会は終了しました |
休館日
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11月2日[月]、12月6[日]、7日[月]、12月29日[火]-1月4日[月] |
観覧料
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無料 |
主催
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千葉市美術館
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いわゆる、「第2次世界大戦後の日本彫刻」と呼ばれるものが、いつから始まったか。それは、髙村光太郎(たかむら こうたろう 1883 – 1956)の死がひとつの契機となる。
髙村光太郎は、文字通り日本の近代彫刻を代表する存在だった。これは、彼が官展や東京美術学校で彫刻の指導的立場にあった髙村光雲(たかむら こううん 1852 – 1934)の子でありながら、ともすれば表面のかざりに甘んじる父たちの制作を痛烈に批判し、彫刻のあり方を考え続けたことによる。彼が制作した彫刻作品は名前の高さに較べると、驚くほど少ない。しかし作品と思索、そして人間的な魅力によって、彼は官展、在野を問わず後進たちの支えとなっていた。
髙村光太郎の葬儀に当たって、彫刻家として先輩の棺を支えた人物が柳原義達(やなぎはら よしたつ 1910 — 2004)である。彼が制作する彫刻作品は裸婦や猫、鴉、鳩など、常に具象のかたちをとっていたが、後輩たちが制作する抽象彫刻に深い理解を示し、応援し続けた。柳原は文字通り髙村の衣鉢を継ぎ、日本の彫刻の方向を決定づけた。それが可能であった理由は、具象や抽象を超えて、彫刻を内側から支える構造や、重力に抗して作品を立ち上げる構築性についての考察が同世代のだれよりもすぐれていたからに他ならない。