作家名 |
鍬形 蕙斎
くわがた けいさい
KUWAGATA Keisai
[1764-1824]
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作品名 |
聖代奇勝(東都繁昌図巻)
とうとはんじょうずかん
Views of Edo Prosperity
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技法/材質 |
絹本着色 1巻
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寸法 |
31.4×645.7cm
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制作年 |
享和3年(1803)
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受入年度/種別 |
平成23年度/寄贈 西谷コレクション
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分類 |
近世までの絵画
肉筆浮世絵
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所蔵品番号 |
2111106
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題簽に「聖代奇勝」とあるこの図巻では、桜の季節の飛鳥山、魚河岸を中心とした日本橋、両国橋を大きくとらえた隅田川納涼と、江戸の繁栄を象徴する3つの情景を選び描き出している。飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗が桜の樹を植えさせて以来の花の名所で、その由緒を語る石碑が図のはじめの方に描かれている。上野のように音曲や酒宴を禁じる規則もなく、男女共に羽目を外し酩酊した姿も見られる。日本橋は、魚河岸の賑わいを詳細に描いており、江戸っ子の好んだ鰹などの魚をはじめ、多様な魚介類が売られていて、江戸の台所たる繁栄がしのばれる。日本橋に大名行列が行き交うのもこの地らしい光景である。隅田川納涼図では両国橋を大きくとらえ、橋の上の混雑や船遊びの様子、川沿いに並んだ水茶屋など賑やかな様子である。
冒頭の蔵書印「楽亭文庫」から、少なくとも文化9年(1812)隠居後の松平定信(1758-1829)が所持していたことがわかる。また松平定緝の「遊飛鳥山記」、井上政矩撰、星野文良書で「日本橋魚市記」、鳥飼桂の「両国橋納涼記」と各図に詞書があり、いずれも定信の側近が書いていることから、老中失脚後白河藩の藩政に専念した定信自身が、享和3年(1803)のこの図巻の成立に関わっている可能性も高い。 (『千葉市美術館 所蔵作品100選』 2015年)
冒頭の蔵書印「楽亭文庫」から、少なくとも文化9年(1812)隠居後の松平定信(1758-1829)が所持していたことがわかる。また松平定緝の「遊飛鳥山記」、井上政矩撰、星野文良書で「日本橋魚市記」、鳥飼桂の「両国橋納涼記」と各図に詞書があり、いずれも定信の側近が書いていることから、老中失脚後白河藩の藩政に専念した定信自身が、享和3年(1803)のこの図巻の成立に関わっている可能性も高い。 (『千葉市美術館 所蔵作品100選』 2015年)