第1章 浮世絵の黎明 墨摺絵からの展開 |
延宝8年(1680)頃、「浮世絵師」や「浮世絵」という言葉が現れ、一枚摺(いちまいずり)の墨摺絵(すみずりえ)が多く普及し始めます。まもなく色彩が求められるようになりますが、それから60-70年ほどの間は、1枚1枚筆で彩色を行っていました。
この章では、現存数が少なく、大変貴重な初期浮世絵版画を展示します。 |

奥村政信 《羽根突きをする美人》
大々判墨摺絵 宝永-正徳期(1704-16)
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石川豊信《 傘と提灯を持つ佐野川市松》
幅広柱絵判紅絵 寛延期(1748-51) |
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第2章 色彩を求めて 紅摺絵から錦絵の時代へ |
寛保・延享期(1741-48)になると、版による彩色が始まり、墨の輪郭線に、紅と緑を中心に2,3
色を摺る素朴な紅摺絵(べにずりえ)が登場します。やがて明和期(1764-72)には、趣味人たちの摺すりもの物制作がきっ
かけとなって、より高度な多色摺(たしょくずり)木版画技法、すなわち錦絵が誕生します。
2章では、紅摺絵の名品と錦絵創始期の第一人者鈴木春信(1725?-70)の作品を中心に紹介します。 |

石川豊信 《佐野川市松と瀬川菊之丞の相合傘》
大判紅摺絵 宝暦期(1751-64)
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鈴木春信 《縁先美人(見立無間の鐘)》
中判錦絵 明和4年(1767)頃 |
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第3章 錦絵の興隆 黄金期の華 清長から歌麿へ |
錦絵出版界が活発化する中で、天明期(1781-89)には、長身の伸びやかな美人を描いてスター絵師となったのが、鳥居清長(とりいきよなが1752-1815)です。さらに次世代の喜多川歌麿(きたがわうたまろ?-1806)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく1763?-1820?)の大首絵も出版されました。
錦絵が華やかに展開し、多くのスター絵師が輩出した黄金期の作品をご堪能ください。 |

喜多川歌麿《婦人相学十躰 面白キ相》
大判錦絵 寛政4-5年(1792-93)頃 |

東洲斎写楽《 二代目小佐川常世の一平姉おさん》
大判錦絵 寛政6年(1794) |

歌川国政《 岩井粂三郎の禿たより》
大判錦絵 寛政8年(1796) |
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第4章 風景画時代の到来 北斎と国芳 |
天保(1830-44)初期には、葛飾北斎(かつしかほくさい 1760-1849)の「冨嶽三十六景」(ふがくさんじゅうろっけい)シリーズの出版により、浮世絵における風景画が確固たる存在感を示します。
一方で、近年人気の高まる、歌川国芳(うたがわくによし 1797-1861)も同じ時期に独創的な風景画を出したことで注目されます。
4章では、北斎と国芳という2人の天才絵師による個性的な風景画を中心に、浮世絵における風景画確立時のインパクトを追体験します。 |

葛飾北斎《 冨嶽三十六景 凱風快晴》
大判錦絵 天保2-4年(1831-33)頃 |

歌川国芳《 東都名所 するがだひ》 大判錦絵 天保3-4年(1832 -33)頃 |
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第5章 エインズワースの愛した広重 |
エインズワース浮世絵コレクションの過半を占めるのが、歌川広重(うたがわひろしげ 1797-1858)の作品です。天保5年(1834)頃に発表された出世作の『東海道五十三次之内』(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち)(保永堂版)を代表格として、晩年、安政4-5年(1857-58)の『名所江戸百景』(めいしょえどひゃっけい)のシリーズに至るまで、広重の名品が網羅されています。
エインズワースが愛した広重風景版画のハイライトを厳選し、展示します。 |

歌川広重《 名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣》
大判錦絵 安政4年(1857)11月 |

歌川広重《名所江戸百景 亀戸梅屋舗》
大判錦絵 安政4年(1857) |

歌川広重《 名所江戸百景 両国花火》
大判錦絵 安政5年(1858)
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